嫌いな言葉

「地球を救う」という言葉が嫌いだ。自分を何様だと思ってるんだ。
 地球からしたら、「ばーか、何言ってるんだ」と思うでしょ。
 たかが人間が何を言っている。
 地球を救う? へっ!
 そう思っているでしょ、地球は。思い上がっているなあ、人間。
 地球に救ってもらっているのが人間でしょ。このスタンスでしょ、われわれは。こうした言葉を恥ずかしげもなく使う人の精神って、どうなっているのか?自省のこころはないのか?
「地球を救う」とか「未来を救う」とか言って、大いに勘違いした人が見受けられますが、われわれは救う存在ではない。救われる存在なのです。この驕り高ぶりをやめなければ、未来永劫、人間は救われません。こうした立場に立たなければ、こころは永遠に平静を保てないと、私は思うのです。

心理療法・その基礎なるものー混迷から抜け出すための有効要因』(金剛出版、2000)というすぐれた本があります。

心理療法・その基礎なるもの―混迷から抜け出すための有効要因

心理療法・その基礎なるもの―混迷から抜け出すための有効要因

  • 作者: スコット・D.ミラー,マーク・A.ハブル,バリー・L.ダンカン,Scott D. Miller,Mark A. Hubble,Barry L. Duncan,曽我昌祺,黒丸尊治,浜田恭子,内田郁,市橋香代,舟木順子
  • 出版社/メーカー: 金剛出版
  • 発売日: 2000/07/01
  • メディア: 単行本
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 面白いですよ、この本。翻訳書ですが、そのサブタイトルの「混迷」は、原著では“babel”。バベルの塔の意。バベルとは、古代バビロニアのバビロン。バビロン捕囚のバビロン。人間が驕り高ぶり、天まで届きそうな高い塔を建てようとしたが、神はこれを許さなかった。16世紀フランドルの画家、ブリューゲル(父)の絵が有名ですね。
「思い上がりだ。言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられないようにしてやる」と、言葉を奪い、人間を分断してしまう(『創世記』11章1-9節)。そのために人間はコミュニケーション出来なくなり、散り散りになって、分散してしまう。以来、われわれは真のコミュニケーションが出来なくなっているのかもしれません。非常に示唆に富んだタイトルです。

 それは別として、著者の意図は何百という心理療法モデルが雨後の筍(たけのこ)のように出現して、それぞれが自分の優位性を主張する現在の「混迷」に対する批判にある。それぞれが他を批判し、我こそはと述べ立てるその思い上がりの醜さに気づけと言っている。
 心理療法に関わる方々を見ていると、「地球」ではない、「人間」を救うことにおける「驕り」「高ぶり」があるように思えます。人間に対して素人のくせに、「俺が救ってやる」みたいな気分の方が時々おられる。それでいて、実生活では「あれっ?」みたいな行動をして気づかない。そんな人でも、いっぱしのことは言える。でも、それっていいんだろうか?
 言葉を奪うのは神のみの所業である。人間がそれをしてはいけない。実際に口にしないでも、態度で言葉を奪う人がいる。それでいて気づかない。
 最近、こんな人が増えたように思う。それでいて、「救う」なんて言っている。
「地球を救う」もそうなんだが、「人間を救う」なんて、簡単に考えないで欲しい。
 そんなに簡単に口にしないで欲しい。地球も重いように、一人ひとりの人生も重い。その重みをしかと感じて、謙虚なこころをもって当たっていただきたい。そう思うこの頃であります。