好きな言葉

 「雑草という名の植物は無い」
 この言葉、いいですね。私はこの言葉が好きです。「人間みな平等」とか「天は人の上に人を作らず」とかの言葉はあるが、そんな肩肘(かたひじ)張らずに、さらっと「雑草という名の植物は無い」のだと言うことの格好良さ、こころの豊かさ、品性の高さ。
 確かにかつては「雑人」(ぞうにんと読みます)と呼ばれた人たちがいました。我が祖先である一般庶民を貴族や武士と違った階級から区別した呼称です。平安、鎌倉時代のことで、以後の「雑兵」(ぞうひょう)なんかもその類いですね。ものみなに名前がある。人間は他と識別し得るものに、固有の名前をつけました。雑なるものは実は無い。一つひとつに名前がある。名前があるとは、その存在を認められているということです。個性を認めているのです。植物のこととはいえ、これぞ真の民主主義ではないか。そう思えるのです。
 この世の中に無駄なものは一つとして無い。人間も同様です。価値の無い植物が無いように、価値の無い人間などひとりもいない。無視されてよい人間はひとりもいない。一人ひとりがほんとうに大切な命である。そのことがこの一言に結晶し、光を放っている。
 ところで、「雑草という名の植物は無い」というこの言葉を発せられた方は誰か、ご存知か。
 亡くなられた昭和天皇です。「雑草」という言葉を口にした侍従を咎められた時のお言葉のようです。平気で人民を踏みにじり、自分の身辺ばかりをちまちま気にする近隣の元首に比して、日本国民は幸せだとしみじみ思うのです。