メディアは商売人か仲介者か

 梅雨が終わった。でもむしむしする。

 電車の中で、二人の老人が話している。
 「麻生は駄目だねえ」
 「うん、駄目だ、ありゃ」
 「鳩山は意外にいいなあ」
 「うん、あれはいい」
 ……………………
 二人の話しはさらに続いて行くが、どこがいいのか駄目なのかは聞こえない。多分、そんなに明確な理由はないのだろう。最近元気か?まあまあだ、くらいの会話なのだ。双方とも、みのもんたか古館伊知郎が言うようなことを言い合っているのだろう。
 それにしても、この二人の判断基準はどこにあるのだろう。いや、そもそも「麻生」や「鳩山」に会ったことがあるのか。たぶん、ないのだろう。会ったこともないのに、いいとか駄目とかが分かるのは何故だろう。
 それは、新聞、テレビ、雑誌等のメディアが、そう伝えるからで、自分の目で見て判断しているわけではない。メディアの意見をそのまま口移しで言う、あるいは自分のオリジナルのように考え、伝え、語り合う。時に、怒鳴り合う。そのことを誰も不思議に思わないが、実は不思議なのである。
 だって、自分の直接知らない人間のことを、自分の兄弟や友達を語るように語るなんて変でしょ。中には真剣に怒ったりする人もいますね。「有権者、怒りの行動」なんてね。でも会ったことは一度もない。テレビのコメンテーターの口移しに意見を語って、我が意見のように思う。虚しい。
 こういう人に限って、身近な人間のことを知らない。目の前にいるのにコミュニケーションできない、なんて人は意外に多い。まあそれはともかく、つまりメディアの伝える意見の中で、みんなが生きていて、その自覚が無い。
 メディアは商売だから、売れればいい。視聴率が上がって、スポンサーからの売上げが上がればいい。コメンテーターもテレビに出てなんぼだから、その場の空気に合わせてものを言う。空気が変われば、また違うことを言う。ポリシーはない。彼らの基本はそこにあるが、表面上は正義を装う。
 メディアの意見は、ある「傾き」を持っている。新聞なら記事を書く人間の「傾き」だ。それをそのまま頭に入れたら、同じ「傾き」になる。そういう人は、何百万、何千万といるから、国民の一定数が同じように「傾く」。オリジナルな意見などない。同じように「傾いている」だけなのだ。それが「空気」になる。これで北朝鮮を笑えるか?
 別に政治に限らない。経済も同様。現代は過度な情報化社会だから、メディアを通して目一杯、知識が詰め込まれる。その当否を見定める術がわれわれにはない。メディアこそが第一権力だからだ。これが幸せかどうか。私は不幸だと思っている。
 私たちの取るべき対応は、メディアはあくまでも「商売」だという事実を、しかと胸におさめること。これがすべてと思わぬこと。メディアも商売なんだ。売れりゃあいいんだから。メディアが作る「空気」は、しかし、一晩にして変化する。その被害者はいったい誰か?それだけは考えておいた方がいい。