御茶の水橋を駆け抜けた頃

 御茶の水橋から水道橋方面を眺めると、さすがに晩秋を過ぎて初冬の景色である。神田川の両岸を覆う緑の蔦は、夏の勢いも無く寒々しい。本郷側の木々の葉は黄や赤に染まり、はらはらと散り始めている。いずれすべて落葉するだろう。
 橋を渡り、医科歯科大学の塀沿いに本郷の方に歩き、順天堂の手前を右に入ると、今はサッカー通りと呼ばれる小路だ。この道の右側に会社がある。毎日この道を通うが、40年近く前もよくこの道を通った。こんなにビルの無い時代である。
 寒い朝、突然、昔のある光景を憶いだした。
 私は、その日も同じ道を歩いていた。いや、駆けていた。小雨がそぼ降る寒い冬の日。何人かの仲間とともに、御茶の水橋を駆け抜け、急いでいた。なぜ急いでいたかは全く覚えていない。とにかく急いで駆けていた。
 その中にその男もいた。普段は快活だが、時折寂しそうに笑う。はにかんだ感じは、秀才の坊っちゃんという形容詞が当てはまった。親父は有名な代議士で、何年か後に自殺した。男はその後を襲って代議士になり、何度も大臣になった。その男が、晴れた日曜日の朝、寝床の中ですでに冷たくなっていたとニュースで見た時には、茫然とした。私はこころ無い記事を、破り捨てた。
 あの日、私たちはどうしてあんなに急いでいたのだろう。一緒にいた者は、将来どうなるかも知らず、懸命に駆け、その後散り散りになって、それぞれが必死に生きた。
 時は移り、人は老いる。夏が終わり、秋はいつの間にか冬をつれて、木の葉を散らす。しかし、黒く固い樹皮の下には、来春芽吹こうとする命が息を秘そめて眠っている。
 私は時々、橋上に立ち止まって、美しい風景を眺める。そして、御茶の水橋を駆け抜けた頃も今も、木々は芽吹き、茂り、散り、そしてまた芽吹くことを知るのである。